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ワインはキリスト教と非常に深いつながりがあります。
最後の晩餐で、イエスはパンをとって「これがわたしの体である」と言い、ワインの入った杯をとって「これがわたしの血である」と言って弟子たちに与えたことから、キリスト教にとってパンとワインはとても重要なものになりました。
キリスト教の布教とともに、世界に広まったワインの文化。
そこで、本日はキリスト教とワインの歴史についてお話します。
キリスト教のワインの歴史
最後の晩餐に描かれているイエスと弟子たちの晩餐風景。
ユダヤの過ぎ越しの祭りの席でイエスは、無酵母パンを手に取り「これは私の体を表す」と言って弟子たちに配り、ワインの入った盃を手にして「これは私の血を表す、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言って、パンとワインを、自分の体と血として飲食する行為を繰り返すように命じました。
この直後イエスは捕らえられ、翌日ゴルゴダの丘で張り付けにされ処刑されることになります。
ユダヤの過ぎ越しの祭りでは、小羊はしょく罪の犠牲として捧げられ、特にその血は罪の赦しを与える契約の血と見なされ、子羊の血で祭壇を赤く染め、肉を食べる儀式が行われていました。
イエスは最後の晩餐で自分自身を過ぎ越しの犠牲の小羊と対比させ、「多くの人のために流される契約の血」として、自分の死を弟子たちに教えました。
キリスト教の成立後、イエスのこの命令は彼の弟子やキリスト教徒たちによって守られ続け、ミサでパンとワインを分け合うこの儀式は、キリスト教でもっとも重要な儀式のひとつとなっています。
キリスト教の普及とともに世界へ広がったワイン文化
4世紀、コンスタンティヌス帝のミラノ勅令でキリスト教が公認され、それ以降、ローマ・カトリック教会の宣教師たちの活動が活発になり、キリスト教の布教とともに、ミサ用のワイン需要が増えたことで、修道院によってワインの醸造が広まっていきました。
ローマ帝国滅亡後もゲルマン諸国に浸透し、中世西ヨーロッパでローマ・カトリック教会の支配体制を確立していき、それと同時にワイン文化も各国へ浸透していきます。
15世紀に入ると、ヨーロッパから多くの移民がアメリカ大陸や南アフリカ、オーストラリアなどに移住していき、ヨーロッパの文化、宗教とともに、ワイン造りも伝わり、ここからニューワルドワインの歴史が始まります。
アメリカ大陸には、現在のメキシコにスペインからの移民がブドウを持ちんだことで栽培が始まり、チリやアルゼンチンなどの南アメリカ大陸に広がります。
アメリカでの最初のワイン造りは18世紀頃。
ローマカソリック教会の修道士たちによって、ミサ用のワインとして造ったのが始まりと言われています。
その後、カリフォルニアで修道士がワイン造りを始めます。
オーストラリアのブドウ栽培の歴史は、1788年アーサー・フィリップ初代総督が率いるイギリスの入植者によって最初のブドウ樹が持ち込まれたのが始まりです。
その後、「オーストラリアワインの父」と呼ばれるジェームズ・バズビーが1824年にイギリスからオーストラリアに渡り、ハンター・ヴァレーでワイン造りを始めました。
こうして、ヨーロッパのみならず、世界各国でワインが造られるようになりました。