ドメーヌ・ルフレーヴ
DOMAINE LEFLAIVE
ドメーヌ・ルフレーヴは、ブルゴーニュの白ワインを代表する生産者です。2006年には、英国のワイン専門誌「デキャンタ」において「世界の白ワイン生産者TOP10」の最高峰に選ばれ、2014年には、マスター・オブ・ワイン協会が選ぶ「ワインメーカーズ・ワインメーカー」に選出されました。
ルフレーヴのワインは、上品で奥行き深く、完成度の極めて高い一級品です。銘醸地の個性を最大限に表現するために、無駄なものを一切排除した農法「ビオディナミ」をすべての畑に取り入れています。口に含むと、エレガントさを損なわない上品な果実味と滑らかな酸が絡まりあって、最高の複雑味を体験できることでしょう。
ルフレーヴ家は1580年から続く名家で、1717年よりピュリニー・モンラッシェ村でワイン造りを始めます。初代当主「ジョセフ・ルフレーヴ」が、1905年に一族の畑を相続してドメーヌを立ち上げました。
ジョセフの死後は、彼の2人の息子「ジョー・ルフレーヴ」と「ヴァンサン・ルフレーヴ」が2代目当主となります。彼らの時代には「世界最高峰のシャルドネ」の名声を不動のものとするようになりましたが、ジョーは1982年、ヴァンサンは1993年に他界。
1982年からは、ジョーの息子である「オリヴィエ・ルフレーヴ」が引き継ぎ、1990年にはヴァンサンの娘で教師だった「アンヌ・クロード・ルフレーヴ」も参画します。
オリヴィエとアンヌの2人で指揮をとっていましたが、オリヴィエはドメーヌ・ルフレーヴを経営する傍ら、1984年から自身の名を冠したネゴシアン「オリヴィエ・ルフレーヴ」を立ち上げます。彼は次第に自身のネゴシアン業で多忙となっていき、1994年以降はアンヌ1人で、3代目当主としてドメーヌを指揮するようなりました。
アンヌが1990年に参画してから、ルフレーヴ はビオディナミによるブドウ栽培へ転換していきます。しかし、ワインの銘醸地として名声を得ていたブルゴーニュの地で、畑の土壌を転換するビオディナミを取り入れるにはリスクがありました。
今でこそ化学薬品を控えたり、ブドウの生産量を抑えたりする有機農法は一般的になりましたが、当時ブルゴーニュの地でビオディナミを始めているドメーヌは少なかったのです。
アンヌがビオディナミに関心を持ったきっかけは、土壌微生物学の世界的な権威である「クロード・ブルギニョン」の講義でした。アンヌは、ビオディナミの先駆者であった「フランソワ・ブーシェ」に教えを受け、月や星といった天体の運行に基づいて畑の作業を行い、自然素材由来の肥料で土壌の活性化を図りました。1997年には全ての畑でビオディナミの移行が完了し、ビオディナミの先駆者的存在となっています。
こうしてドメーヌ・ルフレーヴの歴史に、偉大な功績を残したアンヌは、2015年4月に59歳で他界しています。後継者は、アンヌの甥の「ブリス・ド・ラ・モランディエール」が選ばれました。現在は4代目当主として彼がドメーヌを経営し、素晴らしいワインを造り続けています。
ドメーヌ・ルフレーヴは、ピュリニー・モンラッシェ村に25haもの広大な畑を所有しており、そのほとんどがグラン・クリュとプルミエ・クリュといった偉大な畑で占められています。バタール・モンラッシェ、シュヴァリエ・モンラッシェ、ビアンヴニュ・バタール・モンラッシェを昔から所有し、1991年にはモンラッシェも手に入れました。
バタール・モンラッシェは、ピュリニー・モンラッシェ村とシャサーニュ・モンラッシェ村にまたがる11.7haのグラン・クリュです。「バタール」とは「庶子」を意味し、ピュリニー・モンラッシェ村の領主が、子どもたちに畑を分け与えた時に名付けたといわれています。バタール・モンラッシェの特急畑は、モンラッシェの下方の斜面に位置しており、赤土の粘土質を含む土壌が特徴です。力強い果実味と肉付きの良い極上のシャルドネが造られています。