CHATEAU BOYD-CANTENAC シャトー・ボイド・カントナック | |
シャトー・ボイド・カントナック CHATEAU BOYD CANTENAC 1754年、アイルランド・ベルファストで羊毛の取引を生業としていたボイド家が大陸に(フランスに)移住した際、ジャック・ホイドによって創設されました。その名前が今もシャトー名に残っています。 その後1806年に婚姻関係によってボイド家と血縁関係となったジョン・ルイス・ブラウンの所有となった後、 1860年、畑の一部は、ボルドーの仲買人で、レオヴィル・ポワフェレの他にいくつもの土地を所有していたアルマン・ラランドに売却され、シャトー・カントナック・ブラウンが誕生するとともに、ボイド・カントナックの方は表舞台から姿を消してしまうことになります。 しかし、1920年にはシャトーは再興され、1932年から現在のギルメ一族の所有となります。 ギルメ一族が取得した1932年当時から1982年までは、ボイド・カントナックには物的施設としての醸造所(シャトー)がなく、ワインは、同家が所有するマルゴー4級のシャトー・プージェ(Chateau Pouget)で醸造・貯蔵されていました。 | |
シャトー・ボイド・カントナックの特徴は、クラシカルなスタイルを頑なに守り、 評論家の意見に左右されずひたむきにワインを造り続けていたことです。 「プリムールに参加し始めたジャーナリスト達の印象ばかり気にして、 新樽を多めに使い、漫然とアタックの強いワインを生産してゆく… 個性を失ってしまったそんなワインは造りたくない。」 と強く、しかし静かに主張するのは、当主のリュシアン・ギュメ氏。 しかし、そのかいあって、2000年から突然高い評価を得るようになります。 日本でも、2001年が、漫画「神の雫」4巻で、 「天・地・人 すべてが奇跡的に噛みあってできた、 出色のマルゴーワイン」 として登場!! | |
| |
▼ボルドーの1986年について、 あのロバート・パーカー氏大絶賛! 多くのシャトーが、1982年以降で最も深みのある、 最も凝縮した、20~30年の寿命をもつワインを生産したのだ。 ただし、読者諸氏にははっきりとさせておいた方が良いだろう。偉大な1982年や、優良な1983年、1985年と違って、1986年のワインは愛想のよいものではない。 飲みごろになるまで待てる準備がないなら買っても意味のないヴィンテージなのだ。 だが、喜びを先送りにできるなら、多くのワインが心が浮き立つようなものと証明されるはずである。純粋で非常にフルーティなカベルネが主体となっているのだ。 ~ボルドー第4版より~ |
CHATEAU BOYD-CANTENAC シャトー・ボイド・カントナック | |
シャトー・ボイド・カントナック CHATEAU BOYD CANTENAC 1754年、アイルランド・ベルファストで羊毛の取引を生業としていたボイド家が大陸に(フランスに)移住した際、ジャック・ホイドによって創設されました。その名前が今もシャトー名に残っています。 その後1806年に婚姻関係によってボイド家と血縁関係となったジョン・ルイス・ブラウンの所有となった後、 1860年、畑の一部は、ボルドーの仲買人で、レオヴィル・ポワフェレの他にいくつもの土地を所有していたアルマン・ラランドに売却され、シャトー・カントナック・ブラウンが誕生するとともに、ボイド・カントナックの方は表舞台から姿を消してしまうことになります。 しかし、1920年にはシャトーは再興され、1932年から現在のギルメ一族の所有となります。 ギルメ一族が取得した1932年当時から1982年までは、ボイド・カントナックには物的施設としての醸造所(シャトー)がなく、ワインは、同家が所有するマルゴー4級のシャトー・プージェ(Chateau Pouget)で醸造・貯蔵されていました。 | |
シャトー・ボイド・カントナックの特徴は、クラシカルなスタイルを頑なに守り、 評論家の意見に左右されずひたむきにワインを造り続けていたことです。 「プリムールに参加し始めたジャーナリスト達の印象ばかり気にして、 新樽を多めに使い、漫然とアタックの強いワインを生産してゆく… 個性を失ってしまったそんなワインは造りたくない。」 と強く、しかし静かに主張するのは、当主のリュシアン・ギュメ氏。 しかし、そのかいあって、2000年から突然高い評価を得るようになります。 日本でも、2001年が、漫画「神の雫」4巻で、 「天・地・人 すべてが奇跡的に噛みあってできた、 出色のマルゴーワイン」 として登場!! | |
| |
▼ボルドーの1986年について、 あのロバート・パーカー氏大絶賛! 多くのシャトーが、1982年以降で最も深みのある、 最も凝縮した、20~30年の寿命をもつワインを生産したのだ。 ただし、読者諸氏にははっきりとさせておいた方が良いだろう。偉大な1982年や、優良な1983年、1985年と違って、1986年のワインは愛想のよいものではない。 飲みごろになるまで待てる準備がないなら買っても意味のないヴィンテージなのだ。 だが、喜びを先送りにできるなら、多くのワインが心が浮き立つようなものと証明されるはずである。純粋で非常にフルーティなカベルネが主体となっているのだ。 ~ボルドー第4版より~ |