Manuel Olivier マニュエル・オリヴィエ
今ブルゴーニュでは、世代交代や
外部からの情熱あふれる若い生産者が入り、
変革の時代を迎えています。
活躍する若手の醸造家、ブルゴーニュへの憧れが高じてよそから移り住んだワイン生産者、さらにアメリカ人やカナダ人の熱心な若者がワインを造り、その品質から名を知られる…
こんな出来事が頻繁に見られるようになってきました。
彼ら新しい生産者達は、ブルゴーニュの土地、伝統へ敬意を表しつつ、 最高のワインを造るため努力を惜しみません。
その仕事が今着実に評価され始めています。
ドメーヌ・マニュエル・オリヴィエ
活躍する若手の醸造家、ブルゴーニュへの憧れが高じてよそから移り住んだワイン生産者、さらにアメリカ人やカナダ人の熱心な若者がワインを造り、その品質から名を知られる…
こんな出来事が頻繁に見られるようになってきました。
彼ら新しい生産者達は、ブルゴーニュの土地、伝統へ敬意を表しつつ、 最高のワインを造るため努力を惜しみません。
その仕事が今着実に評価され始めています。
ブルゴーニュの利き酒騎士親睦団(コンフレリ・レ・シェヴァリエ・デュ・タストヴァン)がフランスのクロ・ド・ヴージョにて催されるブラインドテイスティングで、ブルゴーニュワインの中から、特に優れたワインにタストヴィナージュラベルの紋章が与えられます。
年に2回、ワインのプロと愛好家が『ブルゴンディア・ドール官能評価会』に集まって、ブルゴーニュの最高級ワインをテイスティングします。これは、フランス政府とECの公認コンペティションで、テイスティングの規則は世界で類を見ない厳格なものです。
出品ワインのわずか1/3だけが『ブルゴンディア』の栄誉に与ります。
Guide Dussert-Gerberより
2011年、彼はついに羨望に価する格付けを手に入れた、と言える。
マニュエル・オリヴィエは1990年にこの道に入り、最初はわずかなぶどう畑とベリー類の畑を半分ずつ所有する生産者であった。
今日では、彼の努力の賜物である、リュット・レゾネで健全に管理された11haの畑から、膨大な手間を経て最高の品質のブドウを収穫しているのだ。
LE GRAND GUIDE DES VINS DE FRANCE 2010より
最近のマニュエル・オリヴィエのブラインド・ティスティングでは、
上品で気品があり真にワインらしい味わいに、あっと言わせられた。
…30代の青年が伝統を知り、醸造を語る前に葡萄そのものを尊重するということを、
正確に知っていたのだということを示している。
今ブルゴーニュでは、世代交代や外部からの情熱溢れる生産者が入り、
変革の時代を迎えています。
活躍する若手の醸造家、ブルゴーニュへの憧れが高じてよそから移り住んだワイン生産者、
さらにアメリカ人やカナダ人の熱心な若者がワインを造り、その品質から名を知られる…
こんな出来事が頻繁に見られるようになってきました。
彼ら新しい生産者達は、ブルゴーニュの土地、伝統へ敬意を表しつつ、
最高のワインを造るため努力を惜しみません。
その仕事が今着実に評価され始めています。
オリヴィエ・ガール(ドメーヌ・マニュエル・オリヴィエの正式名称)は、
ニュイ・サン・ジョルジュからオート・コート・ド・ニュイ方面に上って行った、
コンクール・エ・コルボンにあるドメーヌです。
当主マニュエル・オリヴィエの実家はカシスなどを造っている農家でしたが、
1990年に一念発起しドメーヌを開業しました。
ビオロジック栽培、ビオディナミ栽培を研究し、
その長所をいくつも取り入れています。
●有機肥料の使用
化学肥料では強すぎて、却って過保護になるため葡萄の木の力を弱めてしまうため、
使用しません。
●除草剤の廃止
除草剤の使用を考えるよりも、畑で働くことを選択すること。
除草剤は土地の力を弱め、多くの生産者はその弱さを補うために化学肥料を使用する。
その結果、数年後には葡萄の木自体が弱くなってしまいます。
ワインは軽くなり、土地の特徴というべきものはワインに見出せなくなる。
彼らはこのような悪循環を避けるため、リュット・レゾネを実践します。
合理的な方法をとりながら、葡萄の木を守っていくためです。
マニュエル・オリヴィエのもう一つの顔はコンサルタント。
短期間で一足飛びに一流生産者の仲間入りを果たした
彼のアドヴァイスを受けようと、多くの生産者が彼に助けを求めます。
畑仕事と醸造という過密スケジュールの合間を縫って、
彼はクライアントの為に最適なアドヴァイスを提供します。
驚きなのは、
何とあのD.R.C.(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティ)までが、
ワインの熟成に関して彼のコンサルタントを受けているという事実!!
神秘、奇跡とも言われる「ロマネ・コンティ」を単独所有する醸造元として、
知らぬ者のない名門中の名門。
略称としてDRCと呼ぶ場合が多いです。
ラ・ターシュを始めとする、高名なグラン・クリュ畑を所有しており、
ラベルにはワインごとにその年の生産本数と瓶詰め番号が記されています。
ドメーヌの現当主オベール・ド・ヴィレーヌの家系が、ロマネ・コンティの所有権を得たのは1869年。
以来、同家はロマネ・コンティのオーナーとしてのみでなく、リシュブール、グラン・エシェゾー、エシェゾーの一部を所有する、小さいながらもブルゴーニュ最高の醸造家として名声を博してきました。
1933年にはラ・ターシュのすべてを買い取り、1946年にはロマネ・サンヴィヴァンの耕作権の一部を取得
(1988年に畑を買収)、1963年にモンラッシェの数うねを買収と、「王冠」ロマネ・コンティの周囲を飾る数々の宝
石を入手しました。原石に磨きをかけ、一層の輝きをそえてきました。
この間、1942年にはドメーヌを会社組織にし、
正式名称を「ソシエテ・シヴィル・デュ・ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ」としました。
リリースされるワインは次の通りです。ロマネ・コンティ、ラ・ターシュ、リシュブール、ロマネ・サン・ヴィヴァン、
グラン・エシェゾー、エシェゾー、モンラッシェ。
もちろんご存じのように「ロマネ・コンティ」「ラ・ターシェ」はモノポール。
一番多いサン・ヴィヴァンで年産20000本強。
モンラッシェに至っては 3000本以下。
徹底したブドウの選別作業や収穫年の状態に合わせて行われる除梗、発酵温度は32~33度、
必ずトロンセ産新樽100%による長期発酵、澱引きや濾過を最小限に止めて作られるDRCのワインは 「飲み手の魂を吸い取る」とまで賞されます。
ニュイ・サン・ジョルジュからコート・ド・ニュイ方面に上って行った、標高の少し高いところにドメーヌ・マニュエル・オリヴィエはあります。
先々代とカシス農家だったこの家族は、マニュエルの代からワイナリーとなりました。
私たちが訪ねた5月下旬は、5月としては少し肌寒い日が続いてました。
まずはオフィスを兼ねた建物で、ここで働いているパスカルとレイチェルがテイスティングをさせていただきました。
ここでもレイチェルが、地元産のパテやブフ・ブルギニョンなどでもてなしてくれました。
テイスティングをしている時に、当主であるマニュエルが帰宅しました。
彼のワインとワイン畑について詳しいお話を聞きつつ、ついでにお昼ご飯もごちそうになりました。
その後に醸造所を見学させてもらいました。
貯蔵庫が一階にあり、二階にはタンク室があります。
ステンレスタンクと木樽があり、ワインによってアルコール発酵される樽が違います。
大きなステンレスタンクは温度コントロールされてあり、一つのタンクに三か所温度を下げる装置がついているそうです。
熟成させる樽はブルゴーニュのものだけでなく、ボルドーのメドックや、コニャックの樽も使われているそうです。
その後外に出て、ブドウ畑を見学しました。
歩いてすぐに、ブドウ畑の一部があります。
5月は天候が悪く気温がいきなり下がってしまったせいで、4月に芽生えたブドウの芽がだめになってしまったりして、収穫量が減ってしまうと説明してくれました。
ドメーヌは標高430メートルほどに位置し、そのためこの地域でも比較的涼しい気候となっているようです。
いくつかの区画のブドウ畑に混ざり、家族が持っているキイチゴやスグリ、苺の畑もありました。
ここには近くのディジョンやボーヌから、果物を摘みに来る人もいるそうです。
マニュエルは、5月初めにディジョン市が所有する畑を借りたそうです。
そこに1.30haの白ブドウの木、さらには1hの赤ブドウの木を植えました。
前年度フランスでは、ベストグルメの街にディジョンが選ばれました。常連のリヨンを抑えての選出で、ディジョンの人たちは大喜びしたそうです。
それに際して、観光客にレストランなどで楽しんでもらえるように、ブルゴーニュ・ド・ディジョンを作りたくてここの畑を借りたそうです。
今からそのワインを味わえる日が楽しみです!
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