CHATEAU FERRIERE/ シャトー・フェリエール
シャトー・フェリエールの歴史
シャトー・フェリエールは、1960年から30年契約で
シャトー・ラスコンブに畑を貸し出していたという歴史があり、1988年に現在のオーナーであるヴィラール家が
少しずつ畑を取り戻し、1991年に全ての畑を取り戻します。 それまでの間は、フェリエールの畑で取れる最上のブドウは、ラスコンブとして醸造され、フェリエールのラベルで売られるワインは実質フェリエールの畑で取れるセカンドワインでしかありませんでした。 |
しかし、その後のフェリエールの復興振りには目を見張るものがあります。 これは、もともと、これ以上ないというほどの、カベルネ・ソーヴィニヨンに適した土壌を持っており、(大きな砂利がほとんどで粘土質が少ない土壌) しかも格付けワインとしては特筆して小さい8haという面積から、畑全体に行き渡った丁寧な仕事行うことが出来たことが 大きな理由の1つとなっています。 (この地域ではシャトー・マルゴーとこのフェリエールだけが除草剤を使っていません。) |
マルゴーの本質とは、カベルネ・ソーヴィニヨン という高貴品種が、その最良の性質を発揮した時にのみ明瞭に現れる。 マルゴー=カベルネと言っても過言ではない。 これを理解するならば、シャトー・フェリエールがマルゴーそのものの美点を表現する存在だと思うはずだ。 シャトー・フェリエールは、マルゴー全体の中で、カベルネ・ソーヴィニヨンの作付け面積比率が80%と 最も高いシャトーである。 残念ながら、そのことがよく知られているとは言いがたい。 最近は会う人に「あなたの好きなマルゴーのワインは何か」との質問を投げかけてきたが、「シャトー・フェリエールが好き」と答えた人は、ただひとりだけ。 硬質な優美、そして厳格な気品というフェリエールの特質に、多くの人は違和感を抱くようだ。 何度でも繰り返すが、「マルゴー=女性的、女性的=ソフト」という観念に、日本人の多くが毒されているからだろう。 とはいえ、フェリエールの認知度の低さは理解できる。 その畑面積は8haとメドックの全格付けシャトーの中で 最小であり、生産量は4000ケースしかないからだ。 |
しかもこのワインのよさに気づいたアメリカ市場が買い占め、2003年に至っては全生産量の9割がアメリカに輸出されたという。 つまりそれ以外の国への割り当ては 4800本。 右岸のガレージワインか、ブルゴーニュのグラン・クリュのような数である。 認知度の低さにはもうひとつの決定的な理由がある。 シャトー・フェリエールが本来の形で市場に再登場したのはつい最近、10年ほど前のことだからだ。 それまで畑は30年契約で、アレクシス・リシース率いる当時のシャトー・ラスコンブに貸し出されていた。 現在のオーナーであるヴィラール家がシャトーを購入した1988年以降、少しずつ畑を取り戻したというものの、 すべての契約が終了したのは1991年。 1954年から1991年という長い間、シャトー・フェリエールの最上のブドウはシャトー・ラスコンブの評価を向上させるために寄与するのみで、 シャトー・フェリエールとラベル表記されたワインの実質は、 シャトー・ラスコンブのセカンド・ワインでしかなかったのだ。 法律によればシャトー名は10年間使用実績がないと消滅してしまうために、このようなおざなりな形で名前を残したのだろうが、 それはシャトー・フェリエールにとっては屈辱であり、消費者に対しての裏切りだった。 |
主な畑はマルゴー村の北側の丘の上にあり、
シャトー・マルゴーの最高のカベルネが収穫されるパーセルに隣接している。 大きな砂利が覆い、地中に粘土が少ない、カベルネ・ソーヴィニョンのためにあるような土壌だ。 カントナックにある1hの畑も、シャトー・ローザン・セグラとシャトー・パルメの畑の斜面上にある。 そして彼らの畑は、メドックでは例外的に、そしてシャトー・マルゴーと同じく、除草剤を使用していない。 丁寧に鋤入れされた畑を見れば、土が生きているのが分かる。 確かにシャトー・フェリエールは、安定した品質の超高級大量生産品たる数多くのメドック格付けシャトーとは異なり、 むしろブルゴーニュやボルドー右岸のワインに も共通する気配がある。すなわち細部の完成度まで美意識を行き渡らせつつ、ひとりの人間の体温を直接的に感じさせる、生命ある芸術作品としてのワイン。 |
ただ上質のおいしさを求めるだけでなく、その向こうにあるテロワールの崇高さと人間の存在をもワインから感じたいならば、メドックのすべての格付けシャトーの中からシャトー・フェリエールを最初に推薦したいとさえ思う。