ジャクソン
Jacquesson
200年に渡る歴史の中で、今日のシャンパーニュの礎を築いた名門メゾン
創業1798年、すでに200年以上の伝統を誇る、由緒あるメゾンがこのシャンパーニュ・ジャクソンです。
本拠地のあるディジー村やグラン・クリュ アイ村の自社畑を中心に、52haの畑から世界最高峰のシャンパーニュを生み出します。
派手な広告を打ったりしないため、広く喧伝されることはありませんが、長い歴史の中で、真にシャンパーニュの品質向上と、ブランドの礎を築いてきた名門中の名門。
第一級の格式高いメゾンの一つです。
創業当時の18世紀末は、フランス革命の経てナポレオンを中心にヨーロッパ全体が戦場となっていた、混沌とした時代でした。
そんな先行きが不安な時代の中で、ジャクソンは時の人ナポレオンの寵愛を受けるという好運に恵まれます。
ナポレオンがジャクソンを購入するため、東欧への遠征の度、シャロン村に立ち寄ったというエピソードも残されています。
その後皇帝となったナポレオン自身の結婚式にも振舞われ、皇帝から最高栄誉の証、「メダユ・ドール(金メダル)」を授かります。
今日も同メゾンの紋章として、ナポレオンのシンボルである「鷹や王冠」と共に誇らしげに掲げられています。
皇帝の肩入れのおかげもあり、ハウスは急速に躍進し、シャンパンで最も重要なブランドへと上りつめました。
名実ともにシャンパーニュメゾンの最高峰に
創業者メミーの息子、アドルフは、新技術により19世紀のシャンパーニュ造りを大きく変えた功労者として、歴史にその名を残しています。
「糖分濃度の測定法」を定式化させ、壜の破裂率を劇的に減らしたのもアドルフでした。
また、今では当たり前のように取り付けられる、コルク栓を抑える金具「ミュズレ」と「キャップシール」の発明や、苗木のギュイヨ方式の仕立て方をジュール・ギュイヨ博士とともに考案したのも、2代目のアドルフであったといわれています。
因みに、ジョセフ・クリュッグは創業前、ジャクソンのセラーで修行をした後、アドルフの妻の妹と結婚後、自らのメゾン「Krug(クリュッグ)」を立ち上げたというエピソードも。
当時ジャクソンがシャンパーニュ造りの最先端として活躍していた様が想像できます。
レ・メイユール・ヴァン・ド・フランス(フランスのワインガイド)では、2010年から最高評価の3ツ星に名を連ねます。
約5200社存在するシャンパーニュの全生産者(2016年時点で)の中で、3ツ星の栄光を手にしたのは、アグラパール、ボランジェ、エグリ・ウーリエ、ジャック・セロス、ジャクソン、クリュッグ、ルイ・ロデレール、ポール・ロジェ、サロンこの僅か9社でした。
ディジー コルヌ ボートレイ
1960年に植樹された樹齢50年以上のブドウを使用し、ドザージュはされていません(ノン・ドゼ)。
引き締まった精緻な酸、豊富なミネラルがシャープな表情を形成していますが、同時に芳醇な果実味も表現しています。