ドメーヌ・コンテス・ド・シェリゼ
DOMAINE COMTESSE DE CHERISEY
200年以上の歴史を持つ名門 |
ドメーヌ・コンテス・ド・シェリゼは、ムルソーとピュリニー・モンラッシェ村のちょうど間にある丘の上のブラニーという集落を本拠とする、長い歴史を持つドメーヌです。
ブラニーとは村より小さなコミューンの名で、行政単位としては場所によってムルソー村とピュリニー・モンラッシェ村の一部となっている場所です。コート・ド・ボーヌの独立したアペラシオンですが、ここで造られた白ワインは「ムルソー」か「ピュリニー・モンラッシェ」かのどちらかを名乗ることになっており、ブラニーを名乗るのは赤ワインだけ。生産量が少ないうえに赤ワインにしか使われない名称であることから、人気の高いブルゴーニュであっても、未だ知る人が多くない隠れた銘醸地の一つです。
ブラニーはかなり古くからワイン造りが行われた地でしたが、高品質なワインを生み出す礎を築いたのは、12世紀に建立されたシトー会メジエール修道院の修道士たちでした。彼らは神に仕える傍ら、テロワールの理解を深め、丁寧な仕事によりブドウ畑を発展させてゆきました。15世紀建造のサン=ドニ教会をはじめ複数の建築物を造り、ワイン生産の場としても活用していました。
順調に発展してきたブラニーのワイン産業は、フランス革命の影響を受け、その後一次的に途切れてしまいます。1793年、修道院の財産は全て国有財産として没収されました。
1811年に、このブラニーのブドウ畑を受け継いだのが、ド・シェリゼの一族でした。彼らはブドウ畑を再興し、さらなる発展を目指して働きました。彼らの管理するブドウ畑のいくつかの区画は、樹齢90年を超える古木の区画も存在し、その歴史の長さと、ブドウ畑への並々ならぬ愛着を感じさせます。
1996年にはエレーヌ・ド・シェリゼとその夫であるローラン・マルトレがドメーヌを受け継ぎました。それまで住んでいたトゥーレ―ヌを離れブラニーへ居を移し、以後ワイン造りの伝統を受け継いでいます。
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