MARQUIS DE LA MOULINE
マルキ・ド・ラ・ムーリーヌ
一見珍奇に見えるこの方法、しかしこのスタイルはむしろ1937年以前のスタンダードだったのです!
数百年と伝えられてきたこのワイン造りにより、ブルゴーニュワインのポテンシャルは最大まで高められます。今回入荷の「マルキ・ド・ラ・ムーリーヌ」は、なんと1973年という40年熟成古酒が作れるほどの強い酒質!!
とはいえ、あくまでブルゴーニュ、エレガントな味わいはそのままです。熟成を遂げた複雑味が楽しめます。今の時代、表舞台には決して出てこない、このレアな裏ブルゴーニュ、ワイン好きならば必飲の一品。
ぜひお試しください!!
ブルゴーニュ赤=ピノノワール100%は割と最近の話
何百年という歴史を持つブルゴーニュ。最も古いワイン造りの記録は西暦312年のものです。西暦500年ごろから修道士によって次々と葡萄畑が開墾され、現代の評価につながる基礎ができ上がります。14~15世紀にはブルゴーニュ公の奨励によって、品質が格段に高まります。
このように、1700年にもわたる歴史を持つブルゴーニュワイン。しかし、ピノノワール100% というスタイルに転換し成功したのは、実はここ100年以内の出来事でした。1937年、AOC法の制定により、ピノノワール100%でなければブルゴーニュワインを名乗れないことになります。当時のブルゴーニュは今より寒く、毎年ピノノワールの収穫は不安定でした。
そのため、多くのネゴシアン、生産者は、南のコートデュローヌのぶどう、シラーやグルナッシュと混醸することで、繊細過ぎる酒質を補い、しっかりしたワインを生み出していたのです。
しかし、AOC法が制定された1937年より、この方法は実質禁止されたも同様となってしまいました。この方法で作ると、ブルゴーニュワインなのにブルゴーニュを名乗れない、という厳しい規制がかかってしまいます。生産者達は泣く泣く不安定なピノノワール100%というスタイルに切り替えますが、これが今日の成功にもつながっています。
AOC制定前のブルゴーニュ地方では、ローヌ地方のブドウを混ぜて、色調
を濃くしたり、また、タンニンやアルコール度数を高めてより強い酒質
にするといった方法が一般的でした。また、AOC制定前ですから、特別
ローヌから取り寄せずとも、畑には現在のブルゴーニュには認められて
いないブドウ品種が植えれられており、全ての品種を混醸してワインを
造っていました。
今でも、ブルゴーニュ地方ではその名残をとどめている場所はありま
す。Cesar(同じ目的でやはりAOCIrancyにいまだ残っている品種)、ま
たはMalbecやTressotが畑に残っております。因みにボルドーでも、同様
に他地域のぶどうを使った例があり、2008年にボルドーのシャトー・パ
ルメがあえてシラーを混ぜてリリースしたキュベがありましたが、これ
も歴史に基づき、より良いワインを作ろうとした試みです。
(価格はものすごく高くなってしまいまいしたが・・・)
しかしながらAOC規定により、他の産地のブドウをブレンドされることが
禁止されたのをきっかけに現在はこのスタイルのワインはブルゴーニュ
地方には存在しておりません。このメゾンの先代が、AOC制定前の伝統を
引き継ぎ、AOCを剥奪されても従来の伝統的なブレンドで醸造したのがこ
のシリーズです。
よってヴィンテージ記載はなく、LOT番号としてその収穫年を表しており
ます。とはいえ、勿論、ローヌのブドウのブレンドは数パーセントにし
か過ぎず、実際はPinot Noirが主体となっております。ブレンドの比率
は、先代より口頭で伝えられた記憶をもとにしております。
メゾンの基礎となるカーヴは、1842年ブルゴーニュ南部メルキュレイに設立されました。その売りは何と言っても安定した温度・湿度をキープすることができる洞窟セラー。この醸造所とセラーに注目した人物が、ブルゴーニュ出身のHenri de la Mouline候爵 (1866-1925)です。
彼はかねてより、「岩盤を繰り抜いたカーヴで数千本のワインを熟成させること」
「ブルゴーニュの畑、特にボーヌ周辺にドメーヌの畑を取得すること」自らの畑でワインを作り、そのワインを天然カーヴで熟成させたい、という情熱を持っていました。ワイン好きの顧客への販売はもちろん、自分で楽しんだり友人に贈りたい…
そんなワイン愛好家である侯爵の夢は、このメゾンを手に入れることで遂に実現されます。最高の条件を持つ洞窟セラーできれいに熟成されたワインは徐々に認知度を得て買い手が増えていきました。
同時に少しずつ有名な畑を自社畑として増やしていきます。特級の「ミュジニー」や、「クロ・ド・ヴージョ」、こういった知名度の高い畑を持つことで、メゾンの名は徐々に知られるようになっていきました。
後を継ぐことになる彼の息子はドメーヌに入り、より大きな販売を手掛けるようになりました。樽のままでワインを販売し、ドメーヌは大きく発展しました。メゾンの3代目は、さらに海外に目を向けます。1950年からフランス国内と輸出向けに瓶詰めワインを販売。
そして、それと並行してドメーヌの持つ素晴らしい条件のカーヴを利用し、19世紀に行われていた古いワインをアッサンブラージュしたワインを顧客向けにリリースしはじめました。これが、Henri de la Mouline候爵に敬意を表して造られたキュヴェ、「マルキ・ド・ラ・ムーリーヌ」です。
モデルとなったのは、先代、先々代から引き継がれた自慢の赤ワイン。メゾンができた当初からずっと顧客の支持を受け、造り続けていたブルゴーニュです。これがAOC法によって「ブルゴーニュ」として認められないワインとなってしまいました。ブルゴーニュ地方の長い歴史を残すため、今でもこのメゾンでは僅かではありますが、この古典的スタイルのブルゴーニュを生産しています。
現在でも、この「マルキ・ド・ラ・ムーリーヌ社」の本拠地は変わらず、ずっと同じメルキュレイ。その中には古い時代のものと、新しいものが同居しています。150年以上の歴史を誇る地下セラー、対象的に醸造所は技術の進歩と共に設備が整えられ、高品質なワインを造りだします。古典的なワインから、モダンな作りのワイン、AOC法に則った格付けのワインまで・・・非常に幅広くワインを造るメゾンです。
※現在このワインは、デュフルール家の扱う他会社のワインと区別されてリリースされています。19世紀以前のブルゴー ニュワインを次代につなぐという特別プロジェクトとして、「マルキ・ド・ラ・ムーリーヌ社」が立ちあげられ、デュフ ルール家が個人的に進めている企画となっています。
「19世紀のブレンドをよみがえらせたシャトー・パルメ」
(2009年4月24日 読売新聞)
エルミタージュをブレンドしていた19世紀のボルドーの習慣を現代によみがえら
せたシャトー・パルメのスペシャルキュヴェを、最高責任者のトーマ・デューロ氏
が日本で初めてお披露目した。このワインは「Historical XIXth Century
Blend」(ヒストリカル・19th・センチュリー・ブレンド」。19世紀のボルドーワイン
が、酒質強化のために、エルミタージュの赤ワインをブレンドしていた習慣にイ
ンスピレーションを受けて、デューロ氏が2004年に初めて生産した。コルナスか
らコート・ロティにかけての北部ローヌのシラー30%に、カベルネ・ソーヴィニヨ
ンとメルロ各35%をブレンドしている。
きっかけは、デューロ氏が米国のコレクターに招かれて、1869年のパルメを飲
んだこと。「当時はラフィットやマルゴーも最終ブレンドの段階で、エルミタージュ
を混ぜていた」という話を聞いて、パルメでもできないかと思いついたという。シ
ラーはボルドーでは認められていないため、ヴァン・ド・ターブルとなる。ヴィン
テージ表記もできないため、ロットナンバーに「L20.06」という形で、2006年のブ
ドウを使用していることを示している。熟成は40%新樽で18か月間行う。生産
量は250ケース。フランス、米国、東京のみで発売された。
色合いは06年の「アルター・エゴ・ド・パルメ」と比べてやや濃い程度だがボディ
の強さは明確に異なる。パルメのしなやかさと柔らかさはそのままに、シラー種
に特有のしっかりしたタンニンとタバコの葉の香りが加わり、下半身が強化され
た。パルメ特有の優雅さは損なわれていない。
オフヴィンテージにシラーをブレンドしていた習慣が、それなり
に理由のあることだとわかる。
デューロ氏は「楽しみながら造った。皆さんにも楽しんでもらえ
ればうれしい。05年は力強い年だったので、シラーをブレンド
すると強くなりすぎるため造らなかった。07、08年は生産する
予定」といたずらっぽく語った。売り出し価格はパルメのグラン
ヴァンと同じで、日本での参考上代は4万2000円。
この古いスタイルのワイン造りにより、ワインは強く、熟成能力が格段に上がります。
通常のこの価格帯のピノノワールが、これだけの年数しっかり持ちこたえることができるでしょうか・・・